銚子陣屋 中心部位置 35.730628,140.838439

 
  

 概要

 享保2年(1717年)、村上へ転封となっていた大河内松平氏が再び7万2千石で高崎に入封した際に与えられた5千石余りの飛地が銚子であった。
 高崎藩の出張所であった銚子陣屋の構造は、方100m四方の単純な単郭構造で、正門前に直線の道が作られている点は多くの近世の陣屋に見られる特徴である。
 役宅の周囲の建物は全て倉庫か出張してきた藩士の住宅であったが、時代が進むと手狭になったのか土塁や堀が埋められ、陣屋の外にまで藩士の長屋が建設されるようになった。 

 銚子の飛地領は漁業や海運が盛んで高崎藩の財政を大いに助けたが、幕末になるとそれが祟り、銚子沿岸の防衛を命じられた高崎藩は12箇所もの台場を建設したために、当時殆どの藩の例に漏れず財政難だった高崎藩をさらに逼迫させる事になった。


 現況

  
 
陣屋町にある陣屋公園を北東方向から北西に望む。当時の場所としては陣屋の南縁にあった社から外の長屋を見ている形になる。公園の隅には銚子陣屋跡を示す石碑が建てられている。


 
陣屋公園内部。井戸一基が残されており(画像左下)比較的新しい陣屋の説明版も設置されていた。


 説明板によると公園内に点在する四角に加工された石は陣屋時代に郭を区画していた石だという。

  
 
大手の御門付近。現在は千葉県道244号となっている。

 

 まとめ

 2次大戦で大きな被害を受けた上に戦後に区画整理が行われたため、現在地上の遺構も地籍にも当時を辿る事はできない。そのような中で陣屋町の陣屋公園は銚子や高崎の歴史を語る上で非常に貴重な存在となっている。また幕末に高崎藩が建設した台場跡も何箇所か残されているようである。

 
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