高崎城天守の呼称について

 高崎城御三階櫓の造営は徳川幕府が天守の造営を自重させた武家諸法度発布(1615年)以降、安藤氏高崎藩初代藩主、安藤重信が1620年頃造営したとされ、高崎城の各種図面や文書では天守を 「三階御櫓」 または 「御三階」などと記述されておりますが、近世城郭をあまり知らない方にも理解しやすい呼び方として、また日本分国絵図の上野高崎城図に天守と記載されているためこのサイトでは高崎城御三階櫓を天守と呼称させて頂きました。

「上野高崎城図」 一部
 
 
[トップページへ戻る]
 
inserted by FC2 system