高崎城の四つの櫓

 高崎城には三重三階の天守を除き四棟の櫓が建てられていました。現在三の丸の土塁線上に現存の乾櫓が移築されていますが、本来三の丸の土塁上は櫓や塀は無く木が植えられているだけで、その内側の二の丸には土塁の上に塗籠塀のみが建てられ、櫓と塀が建ち並んでいた土塁は本丸だけでした。
 高崎城の櫓は四棟すべて二重二階建てで、それぞれ本丸の北西、北東、南東、南西の隅に建ち、方角に対応した呼び名がつけられていました。
  
 
 乾櫓(北西隅櫓)

 乾櫓はかつて本丸北西の隅に建ち、高崎城で最小の櫓です。(現在日本に現存している櫓の中でも最小の櫓だそうです。)
 規模は三間×二間、一階と二階が同じ大きさのいわゆる重箱櫓という形式の櫓です。 絵図に記載されている高さは三間一寸(約5.48m〜5.94m)です。
 天守と同時期に建てられたとみられ、天守に最も近い櫓でしたが「高崎城大意」によると建造時は平屋建ての杮葺き屋根という質素な建物で、北東部分の土台が朽ちて崩れそうだった所を、安藤家三代目藩主重博がこれを修復し、二階建てに改築し、瓦葺きに腰屋根をつけて二重二階の櫓としたそうです。
明治初期、天守から見た乾櫓。
 
 
 坤櫓(南西隅櫓)

 坤櫓は、乾櫓から天守と刎橋門を挟み本丸の南西の隅に建っていました。
 規模は乾櫓とほぼ同じ一階二階共に三間×二間の重箱櫓で、高さは乾櫓よりわずかに高く三間一尺八寸(約6m〜6.45m)でした。
 坤櫓は石原山、小坂山方面の見通しが良く、西の丸、西郭やその虎口への矢払いがよく、百匁くらいの鉄砲(鉛玉で直径約30ミリあまり)は撃てると「高崎城大意」に記されています。

 

 艮櫓(北東隅櫓)

 艮櫓は乾櫓から二之宮御門を挟み本丸の北東の隅に建っていました。
 規模は西側の二つの櫓より大型で、一階が約四間×三間、二階が三間×二間半、高さは三間五尺八寸五分(約7.23m〜7.68m)で一般的な櫓のように二階が逓減しており、二階の妻側には格式の高い華頭窓が付けられています。

 

巽櫓(南東隅櫓)

 巽櫓は艮櫓から本丸正門の槻御門を挟み本丸南東の隅に建ち、乾櫓に対する坤櫓のように、規模も外観も艮櫓とほぼ同じ櫓でした。
 規模は一階が三間四尺×二間四尺、二階が三間×二間、艮櫓に比べキリの良い寸法になっています。高さは艮櫓より僅かに低く三間五尺四寸五分(約7.01m〜7.56m)でした。

明治初期、天守から見た巽櫓。

 

 まとめ

 以上のように、東側の二つの櫓は西側の二つの櫓と比べ規模が大きく、華頭窓や破風などの装飾が施されています。高崎城は東が正面なので正面に向かう二つの櫓が立派に作られたものと思われます。これも天守同様実戦より威容を重視した築城方針の表れだと思われます。 

 「高崎城大意」では高崎城の櫓について以下のような批判をのせています。
 ・ 窓が高くて台をしないと射撃が出来ない。
 ・ 漆喰を何度も塗り直したため窓格子が太くなり、斜射をしにくい。
 ・ 櫓は通常上の階は下の階より小さく造るものを乾坤両櫓は上下階同じである。
 ・ 巽櫓は本柱が内側に出ていて行動を妨げる。
 ・ 櫓台は通常、郭の塁線から張出して横矢を利かせるべきところを、四櫓とも塀と同じ面で横矢がきかない。

 泰平の世になり次第に築城技術が失われ、「皆軍理のつたなく普請奉行まかせにしたる故なり。又普請奉行もその業をしらざるより大工まかせにしたる故なり。」と嘆いています。


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