群馬県の中世城館マップへ(googleマップへ転送されます)
 群馬県教育委員会では昭和後期に全県の中世城館の一斉調査を行い昭和63年(1988年)に調査結果が纏められ、それにより県内におよそ1000ヶ所を超える城館が確認された。年代分布は城館が築かれた当時の世相を反映しており、12〜15世紀に新田荘地域に館が築かれ、16世紀の戦国期に入ると高崎市など他の地域にも平地に館や環濠集落が築かれるようになり、また山城などの本格的な城砦が爆発的に増える傾向が見られた。 
 現在の状況としては、山城は人里や中世の街道などの要衝の近くに位置している事が多いため、ゴルフ場や宅地の開発、高速道路などの建設により城の一部または全部が消滅してる場合が多いが、遊歩道などで道が繋がれ公園整備されている例や、比高の高い山城などは手付かずの状態で残されている場合も多々ある。平地の城や館は戦後の耕地整理により消滅した例や、学校や公官庁の敷地になり消滅している場合が多く、川沿いに位置している城館の場合、侵食作用により破壊されたり河川改修などにより堤防の下に埋まっている例も見られるが、中世以来の住宅地では現在も環濠が良好に残されている例や、跡地が寺社になり外構として堀などが残されている場合もある。
 
 昭和末期の調査から時間が経過し、破壊が進む一方、新たに発見される城館や、発掘調査の後に復元整備される例もあり、多々の城跡(また城館に限らない埋蔵文化財)の置かれた状況は今現在も変化し続けています。このマップにより多くの方が近所の城跡を意識して郷土の歴史に興味を持って頂き、史跡の保護や歴史の再評価に繋げれば良いと考えます。また県外の方々にも研究や観光の一助になればと思います。

 当マップは参考にした資料の関係により欠番や名前が正確でなかったり抜けていたり城館などがありますが御容赦下さい、また現在城跡の中には私有地や地形的に危険な土地、また現在も全域が城主の子孫の方の個人宅となってる場合や、宅地造成され城跡と知らずに居住している方が居る場合があるため当マップを参考に見学される方は十分配慮して下さい。 
 

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